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東日本大震災で考えたこと

韓国造園人からの動画メッセージ

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2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とする世界最大規模、マグニチュード9.0の地震が発生した。三陸から千葉県沿岸地域を大津波が襲い、東日本の各地で建物の倒壊、火災、土木構造物の破壊、液状化現象などが発生し、広い地域で2万数千人にのぼる死者、行方不明者が出ているのは周知のとおりである。

また、地震に端を発した福島第一原発の事故により、周辺地域では避難指示が出され、現場では懸命の復旧作業が続いている。

今回の大地震を契機に、人々の防災意識や防災用品の備えに対する意識が高まるとともに、防災公園に対する期待も非常に高まってきている。

これまで都市公園の地震対策に関連する機能は、地震や火災発生時における避難地機能に主眼が置かれていた。1995年の阪神・淡路大震災では、避難地として街区公園や近隣公園など住区基幹公園クラスが多く利用された。災害直後の一次避難地から救援・復旧活動の拠点、ボランティア活動の拠点など、様々な形で公園が利用され、その利用価値は高く評価された。

今回の震災では、被災地の地形、津波被害が大きかったこと、寒さが厳しい時期であったこともあり、被災地では阪神・淡路大震災のように避難場所として使われたケースは少なかったようである。しかし、液状化現象で一時下水道が使用できなくなった浦安市内では、公園内に仮設トイレを設置して近隣住民の生活を支えるなど、これまで余り想定していなかった利用がされた。

東京も震度5弱の揺れを観測し、公共交通機関が麻痺して帰宅困難が現実のものとなった。当日の夕方、近所のコンビニエンスストアに行ったスタッフが帰ってくるなり、大勢の人が新宿通りを西に向かって歩いていたと言っていた。弊社では、全員当日の帰宅を諦めて鉄道が運転再開するまで社内で待機することにしたが、新宿御苑では帰宅困難者を受け入れていたとのことである。大勢の人を一時的な受入れ場所としてオープンスペースを使ったのは、初めてのことだろう。

あれから、関西在住の友人やサッカー仲間から安否確認や必要な事項の問合せの連絡があり、韓国のサッカー仲間からも安否確認や被災地への応援メッセージをいただくなど、余震や社会の混乱などの不安から勇気づけられた。さらに、韓国のサッカー仲間からは約500万ウォンの義援金をお預かりした。なお、義援金は、小笠原選手や今野選手が呼びかけている東北サッカー協会の『東北サッカー未来募金』に送った。

昨今、「人と人のつながり」の希薄さが伝えられるが、非常に困難な状況にある時に心の支えになるのは、深く心を通わせた家族であり、友人であり、個人的な深い絆ではないだろうか。改めて「人と人のつながり —心の絆と友情—」を実感した次第である。

これから復旧・復興に向かって都市公園は、どのような役割を果たせるだろうか。仮設住宅建設用地に学校の校庭まで使っている現在、子どもたちが子どもらしくノビノビと遊び、大人たちが花を見てほっと一息つき、ご近所さんとおしゃべりを楽しむ場所を提供するなど、公園だからこそできることがあるはずである。

(2011-06-10)


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